ケニア キベラスラムのヒーロー
- 2014年12月09日
- あふりかな日ごろ
まさに、ヒーローとは、
こういう方を言うんじゃないでしょうか?
オケッチさん、子供たちを守ってくれて、ありがとう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
早川さんのシェアです。
●火事から6日目、12月7日の報告●
亡くなったオケッチについてと、
マゴソ裁縫作業所を守ったババジョセフについて。
12月7日はオケッチの葬儀のためのハランベー(カンパの会)も同時に行ないました。
あらためてオケッチの最後の様子を聞き、とても驚いたことがあります。
それは、オケッチは亡くなる2日前に、
マゴソ作業所を前にあった場所からだいぶ離れた新校舎に移動させてくれ、
それによってすべてのミシンや様々な物品が救われたということでした。
私は火事が発生した日、
マゴソ作業所のミシンや物品はすべてダメになってしまったに違いないと絶望しそうになりました。
ところが、この写真にあるように、
ほとんどのミシンが無事(リリアンのミシンは盗まれましたが、それ以外のミシンは無事だった)、
そして、材料のカンガやすでに出来上がっていた様々な商品は略奪にあって大方盗まれてしまいましたが、
火事の当日も、このようにかなりそれを救ってくれた人がいました。
オケッチは、
大工や電気の職人で、さらに音楽家でもありピアノを弾き歌を歌うという天才でした。
マゴソの校舎はこれまですべてオケッチが作ってきてくれました。
今年のはじめから私たちが建設を行っていた、
一階が障害児の特別学級になるマゴソ新校舎は石造りの建物で、
火事とは反対方向のマゴソ敷地の奥にあります。
火事の2日前、
オケッチはその2階の電気の配線を終え、
遠く離れた位置にあるマゴソ作業所からすべての物品を運び出し、
石造りの校舎のほうに移動させてくれていたそうです。
それによって、私たちの大切なミシンなどの機材が救われました。
これを虫の知らせというのでしょうか。
その頃、オギラの息子のあーちゃんが具合が悪くなり、
病院に担ぎ込まれて手術を受けました。
火事の当日の朝、オケッチは、オギラとあーちゃんを迎えに出てくれて、
あーちゃんを抱っこしてオギラの家の中に運んでくれたそうです。
そしてこの写真でオギラが座っている椅子に座り、
朝食を食べたそうです。そのときにオケッチは冗談で、
あーちゃんに、次に具合が悪くなっても、もう病院には行かなくていいよ。
何度も何度も病院通いをしてあーちゃんは痛くて辛くて泣いていたから、
優しいオケッチはきっとそう言って慰めてくれたのでしょうね。
そこからオケッチはマゴソに行きました。
そして火事にあったのです。
火事の最中、オケッチは誰よりも前に出て動き回り、
多くの物品と子供たちの命を守りました。
そして最後は、息ができない、と言いながら、数歩歩いて、
そして崩れ落ちるようにして倒れたそうです。
そのまま息を引き取りました。
オケッチはいまナイロビのチロモにある遺体安置所で眠っています。
12月11日(木)の朝7時に出棺、そしてそのまま田舎の村へ移動し、
12月12日(金)に埋葬だということです。
オケッチあなたことを生涯忘れません。
守ってくれて本当にありがとう。
どうか神様のもとでゆっくり休んでください。
早川千晶